監督がクリント・イーストウッドで気になっていた映画『硫黄島からの手紙』
第79回アカデミー賞の対象作となり、作品賞・監督賞・脚本賞・音響編集賞にノミネートされるなど話題だったので、いい映画なんだろうと思いつつ。
戦争映画で(重い内容なんだろうな)と思うとなかなか見る気になれなかった。
オリンピックのさなか、広島の原爆後に降った「黒い雨」をめぐる裁判のニュースを見た。
原爆が投下されたのは1945年8月9日。
日本の降伏が国民に公表されたのは1945年8月15日。
硫黄島の戦いに敗れたのが1945年3月26日。
なんとなく見る気になった。
『硫黄島からの手紙』は映画『父親たちの星条旗』に続く、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品。
この映画の写真は5人のアメリカ海兵隊員と1人のアメリカ海軍兵が硫黄島の戦いの最中、摺鉢山の頂上に星条旗を立てる姿を撮影した「硫黄島の星条旗」
ピューリッツァー賞の写真部門を受賞したジョー・ローゼンタールが撮影したもの。
映画『硫黄島からの手紙』あらすじ
太平洋戦争の戦況が悪化しつつある1944年6月。
硫黄島での日々に絶望を感じていた応召兵・西郷陸軍一等兵(二宮和也)
小笠原方面最高指揮官・栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)がやってきて、希望を持つようになる。
1945年2月19日、ついにアメリカ軍が硫黄島に上陸を開始した。
圧倒的な兵力差から5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にも及ぶ歴史的な激戦となる。
映画『硫黄島からの手紙』感想レビュー
1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト・西竹一が戦死されたことは知っていた。
どうしてそんな優秀な人が死の危険度の高い地へ配属されたのか。
それは西が人気者だったので、現地の指揮を高める狙いがあったのではないかと思われる。
硫黄島はそれくらいのことしか知らなかった。
現在、硫黄島は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれ、自衛官など基地関係者以外の民間人の立ち入りは基本的に禁止されているという。
著者は自衛隊員用の硫黄島食堂の求人に応募し、バイトした体験記を綴っている。
そして硫黄島ではいまだに兵の霊が出ると。
それほど激戦した地ということが伺える。
関連リンク
「一度でいいから親父と一緒に酒が飲みたかった」 〜硫黄島での食堂バイト体験記〜 | ジョブリストマガジン
お国のために死んできます!
そんな特攻イメージとほど遠い、西郷陸軍一等兵(二宮和也)が主人公。
穴掘り作業をかったるそうにする姿は、現代人に共感しやすい。
クリント・イーストウッド監督の描く硫黄島の戦いは、国の戦争に巻き込まれた一般人が描かれていると感じた。
望んで戦争に来たわけではない。
有無を言わさず戦争に参加させられた。
そういう想いが強く見てとれたと思う。
西郷には生きて帰りたい理由があった。
本国で待っている妻と生まれたばかりの子に会いたい。
そんな想いを抱えているのは西郷だけではない。
硫黄島にいる誰もが本国の家族に会いたがっている。
その想いを手紙に託しているのが切ない。
『硫黄島からの手紙』の良いところは、わかりやすく当時の状況を表現しているところだと思う。
例えば、家族に手紙を書くにしても、当時は内容をチエックされる仕組みになっているから、本心をそのまま書いては家族のもとへ届かないことが丁寧に表現されている。
知っている人はどうということのない場面。
けれど、メールやLINEが主流で育った若者には、これくらいの説明がないと意味がわからないと思う。
クリント・イーストウッド監督は1930年生まれ。
硫黄島の戦いのとき15歳。
戦争は肌で感じていたかもしれないが、Wikiを読むとしっかり青春していたようだ。
見聞して丁寧に映画を制作したことが伺える。
現在、クリント・イーストウッド監督は91歳。
戦争を知らない世代はますます増えていく。