命の格差は仕方ないのか?【映画】ジョーカー(感想レビュー)
先日、2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件の第3回公判が開かれました。
この事件は元施設職員の植松(犯行当時26歳)が施設に侵入して刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせたもので「重度の障害者は安楽死させるべきだ」という趣旨の発言や「今の日本に生産能力のない人間を支える余裕はない」とする言葉は、社会に波紋を投げかけました。
ハーバード日本人教授・イチロー・カワチは「命の長さは運では無い。資本主義社会で必ず生じる格差。それは貧困層の命にまず打撃を与え、勝ち組の寿命も引き下げる」と著書『命の格差は止められるか』に書いていますが、植松は命の格差を感じていたのではないでしょうか。
映画『ジョーカー』の主人公アーサー・フレックには脳に障害があります。
かろうじて働けているピエロの稼ぎと、市から援助されている薬でなんとか暮らしながら、寝たきりの母親の面倒も見ています。
アーサーの身体はガリガリで、ご飯もまともに食べられて無いのが見てとれます。
そんなギリギリの生活を送るアーサーですが、彼は健気にがんばっていました。
しかし、ちょっとした日常のほころびから、だんだんアーサーは崩壊してしまうのです。
そして、なぜバットマンの宿敵「ジョーカー」が生まれたのかが描かれていきます。
誰にでも起こりえる人生の転落劇
アーサーに起きたコトの流れを知っている者からすると、理不尽と言えば理不尽なカタチでアーサーは仕事を失ってしまいます。
そして不運は続き、予算カットの都合で市からの援助も無くなってしまいます。
はっきり言って、社会からお前はいらない、と言われたような状況に陥り、アーサーにはどこにも居場所がなくなります。
現代社会の片隅で起きているような物語は、身につまされるようでした。
そしてアーサーが犯した罪が思いがけないカタチで人々に支持されはじめ、皮肉にもアーサーの居場所が出来上がっていくのでした。
もしもあのとき、、、
アーサーが「お前だけは気にかけてくれた」と元同僚を殺さずに逃がしてやる場面があります。
元同僚はアーサーに優しい言葉を掛けていたのです。
人はそんなちょっとしたことで心が救われているものなのかもしれません。
けれどもそれだけではどうにもならないときもあります。
やはり本当に必要なのは具体的な援助や支援なのでしょう。
そうしてアーサーの社会に対する怒りや悲しみが爆発したとき、ジョーカーが誕生します。