映画『エクソシスト 信じる者 』(2023年)を見ました。
『エクソシスト』シリーズの第6作で『エクソシスト』(1973年)の直接の続編です。
どんだけエクソシストは人気なんんだ。
日本語吹替版キャストが豪華で、吹き替え版もおすすめです。
悪魔 小林ゆう
ドン・レヴァンス牧師 三木眞一郎
映画『エクソシスト 信じる者 』あらすじ
13年前、新婚旅行中に写真家のヴィクター(レスリー・オドム・Jr)と妊娠中の妻ソレーヌはハイチ地震に遭遇し、妻は命を落とす。
一人で娘のアンジェラを育てている父ヴィクター。
アンジェラ(リディア・ジュエット)は同級生、キャサリン(オリヴィア・オニール)と、母ソレーヌを呼び出す降霊術を試みる。
父を演じたレスリー・オドム・Jrはトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞経験があり、演技に華があってよかったです。
映画『エクソシスト 信じる者 』(感想レビュー)
ハイチ地震は2010年に実際に起きた地震で、死者は31万6千人以上と言われています。
そんな地震で生き残った父ヴィクターと娘のアンジェラは強運と言えるでしょう。
ふたりは仲良し親子です。
しかし、この親子、いささか他人に迷惑をかけるのが映画「アオラレ」の母親に通じるものがあります。
父は娘に甘く、アンジェラは大人を舐めているフシがあり、
アンジェラが良からぬ行動するのは目に見えています。
アンジェラとキャサリンは三日間行方不明になり発見されます。
しかし彼女たちは3時間しか経ってないと語ります。
悪魔の憑依がじわじわ彼女たちに見られていきますが、怖がりな私も大丈夫ならくらいのホラー。
キャサリンの悪魔憑きがなかなかいい味でてます。
キャサリンの教会シーンは、映画『シャイニング』の一場面を彷彿させました。
父ヴィクターが無宗教なのが現代的と感じました。
さて、どうなるか?
どんなエクソシストが登場するのか、楽しみにしてました。
『ヴァチカンのエクソシスト』のラッセル・クロウとは言わないけどさ。
そしたら、なんだかグダグダでエクソシストがはじまってしまう!
いいのかそんな感じで!?
ヴィクターの隣人アンもエクソシストを手伝うことになり、
「自分がヴィクターと隣人になったのはこの日のためなんだわ!」
めちゃくちゃ前向きで吹く。
果たして無事にエクソシストは遂行できるのか!?
結末は双方の父親の放った言葉が対象的で、そこがポイントかと思います。
でもちょっと宗教をイジってる気もして不思議に感じました。
そこで監督デヴィッド・ゴードン・グリーンを調べる。
監督の信仰している宗教は不明ですが、母親はラマーズ法のインストラクター、父親は医学部学部長だったそう。
医学的根拠に基づいた考えが影響しているのかなぁ。。。
監督がインタビューで興味深い質問にこたえていました。
以下ネタバレを含みます
インタビュー
ほとんどの悪魔祓い映画では、カトリックの神父が主人公です。
しかしこの映画の神父は主人公ではないです。なぜこの役を小さくしたのですか?
監督
そうだね。僕がとても好きなストーリーのひとつは、僕たちの司祭が、自分の協会の女性とその隣人の努力を支援するためにそこにいるというものなんだ。
彼(マドックス神父)が神父たちの委員会に持ち込んでする悪魔祓いの会話があるけど、そこでの神父たちはすべて本物のカトリックの神父なんだ。
僕たちは彼らの会話を撮影し、それを映画の中で使用したんだ。
それは実に洞察に富んだものだった。そして、彼は悪魔祓いをすることを禁じられるんだ。
だから、(そこで)彼が下した選択は、家の外で待機し、そこで祈りを捧げながら、それがうまくいくことと、女の子たちが無事であることを瞑想することだったんだ。
伝統的な悪魔祓い映画であれば、そこで、彼がヒーローとなり、そこに入っていって、危機を救うところだけど、ここでは、彼はその瞬間、それをするための準備が整っていなかった。
そして、そこに参加すべきではないと彼に忠告した人々は、実際、正しくて、それはうまくいかなかった。(でも)彼はそこに心血を注ぐんだ。情熱のすべてをそこに注ぎ込むんだ。でもうまくいかないんだよ。
僕は、観客が必ずしも期待していないようなものを与え、内面的な選択をしているキャラクターを作り出し、クライマックスの瞬間にちょっとスリルを与え、彼女たちの中にあるこういった存在(悪魔)の力を目にするといったことを観客に与えようとしているんだ。
インタビュー
あなたは先ほど、本物の神父のような人が(映画の中に)いるとおっしゃっていましたね。最初の映画や原作とは違う、新しい素材を手に入れたのですか?
監督
いつもそうだよ。ずっとそうだった。
この映画に登場するすべての宗教について、コンサルタントを雇ったんだ。
そのことに本腰を入れて取り組んだんだ。そして、多くのエクソシスト(悪魔祓いの祈祷師)や、こういった儀式や儀礼に参加したことのある人たちに話を聞いた。そういったことに関して、かなり学んだよ。
そして本物の神父をキャスティングすることで、、、マドックス神父と隣の家のアンが教会に行き、関係者(神父たち)と話をするシークエンスで、そこにいた全ての人たちは本物の神父だった。そして僕たちはただ会話をしたんだ。台本はなかった。僕たちの2人の役者がそこに入って、(彼らに)質問したんだ。この種の機会で素晴らしいのは、彼らのように、カリスマ性を持つ人たち、人前で話すことに慣れている人たちがいる場合、それはどこか自然な感じになるんだ。そういったことは、僕にとっても勉強になったよ。
参照リンク
『エクソシスト 信じる者』デヴィッド・ゴードン・グリーン監督インタビュー「観客が必ずしも期待していないようなものを与え、スリルを演出する」 | ガジェット通信 GetNews
神父たちの委員会にて、
「これは非常に危険な案件だ」
と決断が下り、マドックス神父は、
「結論は、少女たちの安全を考慮して精神科の治療を行いなさい。
私は儀式に参加できません。
この危険な儀式を行う資格はあなた方にはありません」
と伝えます。
このときマドックス神父はセーターを着用してるのもポイント。
儀式に参加する気ないじゃーん!って感じがよく出てます。
悪魔祓いをするべき機関が、いざというときに役立たずって、救いようの無い話だと思いました。
すごく失望する。
それでも父ヴィクターは「やる!」
まぁ、そうなるわよね。
けど悪魔祓いできないって司教が言ったのよ?
それを素人のヴィクターがやるって、祓えるとは思えない。
隣人アンも「わたしにはできる!」
なんで!?どこからその自信はくるの!?
ふたりの意気込みにつられるようにして、みんなで悪魔祓いに挑むのだけど、みんなでやれば怖く無い、みたいな感じ?
人との繋がりを監督は強調したかったようだけど、協力したマドックス神父、可哀想!
いったいどうするのがよかったのか。
なんだか巻き込まれた人が可哀想に。
隣人アン(アン・ダウド)が最後に語ります。
「聖書のヨブのように人は困難に打ち勝てる。
乗り越えるのが難しい人もいる。
心の平安を得るのに長い長い時間がかかる人も。
でも平安を選ぶかはその人次第。
祝福に気がつきそれを大事にできるか。
たぶん神様が人間に求めているのはたったひとつのこと。
生き続けること、自分で選んだものを手放さないこと、信じることよ」
おいおい!何まとめようとしてるんだアン!
いいこと言っているけど、そういう話じゃなかったじゃん。
、、、ヨブの話が気になって読んだら可哀想なのよ!
ヨブのようになれないよ。。。
参照リンク ヨブ - Wikipedia