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俳優から映画の裏方へ転職、ハートマン教官(フルメタルジャケット)、『シャイニング』双子の生みの親!?ドキュメンタリー映画『キューブリックに魅せられた男』(感想レビュー)

 

いろんな転職のお話は耳にしますが、俳優から映画の裏方へ転職した俳優、レオン・ヴィターリのドキュメンタリー映画キューブリックに魅せられた男』を見ました。

映画『バリー・リンドン』(1975年)の出演がきっかけでキューブリック監督の虜となり、裏方の仕事に就いたと言います。

 

DVD『キューブリックに愛された男・キューブリックに魅せられた男』に収録

 

 

キューブリックに魅せられた男』感想レビュー

 

レオン・ヴィターリについて、周囲の人々は

「いったい、いつ寝てたんだろう?」

監督の犬や猫にまで気を配り、介護が必要になった猫を世話するためカメラとモニターを繋いでいたほど(当時は見守りカメラがありません)でした。

なぜなら監督の精神のコンディションが悪くなり撮影に支障がでるからというレオンの理由で、監督が望んでそこまでしろと言ったわけでは無さそうです。

しかし、監督はそんな献身的なレオンの仕事っぷりを気に入っていました。

 

スタンリーキューブリック監督と働いてる当時、映画業界はブラックが当然だったし、レオンも「自ら望んでやってるんだ」

監督と働けることがレオンの生きがいだったのです。

 

映画『アイズワイドシャット』では監督から突然電話がかかってきて、

「レオン、決めた。お前がやれ」

仮面の男を演じています。

トムクルーズに「パスワードを伺えるかな?」とセリフもあります。

 

このときレオンは毎晩1時頃まで照明プランを実地で試し照明あわせ調整するなど撮影監督の仕事もこなし、キューブリック監督に望まれるありとあらゆる裏方作業をしていました。

レオンは監督の好みを熟知していて、キューブリック監督からOKがもらえる演出を準備することができました。

 

そしてこの作品を最後に、キューブリック監督が70歳で亡くなりました。

フィルムは撮れているものの完成はしていません。

「監督の望んだとうりに作品を仕上げます」

ワーナーの重役の前でレオンは宣言します。

しかしこの作業は1日24時間、7日間、不眠不休でレオンは働き、

当然、具合を悪くしました。

監督が亡くなったことも精神に影響していたことでしょう。

 

続いてデジタルリマスター版の制作に携わり、レオンはどんどん痩せて体重は30キロ台に!ヒャーッ!

精神も病んでいき、当時の手帳は映画「シャイニング」ばりに同じ言葉がびっしり書かれていました。

キューブリック作品を後世にまで残す、そんな使命感に燃えて、なんとか気力を保っていたように見えます。

こんなに尽くせる人っているでしょうか。

いや、レオンはもう病気だったと思います。

 

映画配給会社ワーナーはレオンを快く思わず、大回顧展『キューブリック展覧会』に関わることも招待されることもありませんでした。

まぁ、わかるよ。

キューブリック監督のことになるとあいつうるさいじゃん?って思われてたのでしょう。

精神も病んでるわけだから、話も通じないところがあっただろうし。

ビジネスとしてはやりにくい相手だったのかも、と想像します。

 

レオンの息子が

「しばらく僕が経済的に助けた」

と告白します。

えっ!?あんなに働いて経済的困窮に陥るの!?

 

詳しくは語られませんが、監督の死後のレオンの働きのほとんどが「無料」の奉仕だったようです。

わざわざイギリスからアメリカに渡って手伝ったのに!?

うそーん!

レオンは「監督へのだから」と穏やかに述べますが、、、家族はそうは思わない。

息子が言います。

「あんなに働いたんだから普通は思う、質素な暮らしを送るのに十分なお金は持っていいと」

息子はこのことについて「悲しい」と表現していますが、そりゃそうだ!

レオンにしかできない、とまで言われる仕事っぷりに対して流石に酷い。

 

でも、賃金が発生してないからクビにもならず、とことん作業できる環境を確保していたのだろうとも思えます。

それくらいレオンはこだわり抜いてキューブリック作品を世に送り出していたのでしょう。

 

生き様は顔に出る、と言いますが、レオンはキューブリック監督を語るとき、目は輝き幸せな人生だったとわかりますが、一方では抜け殻のような表情も見せます。

今日に綺麗な映像でスタンリーキューブリックの映画が見られるのはレオンのおかげだとわかりました。

リマスター版にするには結構手間がかかるんです。

 

映画『フルメタルジャケット』ファン、必見!

 

映画『フルメタルジャケット』について当時に出演した俳優もインタビューで出てきます。

なかでも人気の「ハートマン教官」本人から出演に至る経緯の説明もあります。

ハートマン教官の「罵り」は、当時バラエティ番組やCMに大きな影響を与えたと記憶しています。

その「罵り」についても触れられています。

レオンは俳優の経験を活かし、弾丸のように早い罵りを「ハートマン教官」に演技指導していました。

レオンの演技指導が無ければ「ハートマン教官」は誕生していないでしょう。

 

 

映画『シャイニング』ファン、必見!

 

映画『シャイニング』の子役オーディションにもレオンは深く関わっていました。

そして有名な双子についても。

キャスティングはレオンの影響のようでした。

レオンは芸術の知識もあり、ダイアン・アーバスの双子の写真を連想したようです。

キューブリックが発想したような記述が多いのですが、実はレオンがきっかけ?

その経緯もドキュメンタリーで語られています。

 

当時の俳優や関係者がこのドキュメンタリーに協力出演していることからわかるように、レオンがどれだけキューブリック監督と共に作品作りに貢献したかが伺えました。

レオンは『キューブリックに魅せられた男』ではありますが、

キューブリック映画を創った男』とも言えるドキュメンタリー映画でした。

 

このドキュメンタリーの後に、映画『バリー・リンドン』を見ました。

レオンは18世紀のブリンドン子爵(当時26歳)を演じました。

レオンが話していた場面をドキュメンタリー映画を見てからだと興味深いです。

レオン・ヴィターリは2022年8月に74歳で亡くなりました。