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ひとりの不幸な人間は、もうひとりの不幸な人間を見つけて幸せになる。大泉洋主演・おすすめ映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(感想レビュー)

 

映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を見ました。

大泉洋さんが主演じゃなかったら見なかったかもしれない。

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

  • 発売日: 2019/07/10
  • メディア: Prime Video
 

あらすじ

1994年・北海道札幌市。

難病の筋ジストロフィー患者の多くが、一生を施設や病院で終えるケースが多い中、鹿野さんは、どんなに障害が重くても「地域で普通に生活したい」という主張を貫く。

当時は障害者のための在宅福祉制度など皆無に等しい時代。

手が動かない、足も動かない鹿野さんは、介助者なしに生きていくことができない。

つねに「あれしろ、これしろ」を容赦なく要求してくる鹿野さんに圧倒されるボランティアたちとの交流が描かれる。  

 

原作は渡辺一史さんのノンフィクション

こんな夜更けにバナナかよ、筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

ありがちな美談ではなく、障害者と健常者の人間関係がリアルに描かれています。

 

全て札幌でロケをしていて、 札幌市のサイトにロケ地マップがあります。

ロケ地の北海道大学は見学自由ですし、富田屋珈琲でカフェしてみたい。

実際に鹿野さんが暮らしていた部屋で撮影されるなど、こだわりが感じられるのもこの映画の良い所と言うか、誠意と言うか、とにかく愛を感じます。


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映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(感想レビュー)

 

冒頭の映像。

ボランティアにラーメンをふうふうして食べさせてもらい、

「お水ちょうだい」「新聞読む」「背中かゆい」

鹿野さんの王様っぷりがすごい!

そんな鹿野さんの態度に腹を立てた美咲ちゃんが、

「障害者ってそんなにえらいの?」と聞きます。

ボランティアだって俺からいろいろ学んでるんだから付き合いは対等」と鹿野さんは主張します。

 

介護保険が創設されたのが2000年。

障害者自立支援法が施行されたのが2006年。

1994年から現代の介護事情は大きく変わっています。

鹿野さんは駅前でボランティアを募集しなければならなかったけど、今なら行政サービスを利用して済むこともあります。 

鹿野さんは積極的に講演会や取材に応じており、そうした地道な活動が今日の介護事情に結びついているのかもしれません。

 

筋ジストロフィー患者の事情は、当人や家族にしかわからない世界で、いざ体が不自由になってみて、一生を施設や病院で終えるしかないと知ったら、それはやっぱり絶望に近い感情を持つのではないでしょうか。

家族から遠く離れて暮らし、病気の進行がはやい友人たちが次々と亡くなっていくのです。

同じく筋ジストロフィー患者の少年が、鹿野さんの講演会で未来に希望を持つ姿にハッとさせられました。

鹿野さんのライフスタイルが誰かの生きる希望になっていたのです。

 

それにしても講演会の鹿野さんのファッション!

とびっきりのお洒落なのはわかるんですが、大泉さんが着るとどこかコミカル。

水曜どうでしょう』のオープニングでさまざまなコスプレをされてきているだけあって、笑わせにきてるな!とわかります。

美咲ちゃんをデートに誘ったBBQでは、それウッディ!?ツッコミたくなる。

大泉さんの持ち前のコミカルな演技で、映画全体が明るく楽しく描かれていました。

もちろん真剣な場面もありますが、大泉洋さんでなければ最後まで見れなかったと思います。

脇も萩原聖人さん、佐藤浩市さん、など配役もとても良かったです。

ボランティア役の渡辺真起子さんが、鹿野さんと通じ合ってる感じが好きでした。

 

メイキング動画が面白いです(*^▽^*) 

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 メイキング動画&予告

 

 

映画が進んで行くに従い、鹿野さんが普通の生活をしたいと願うのは、子供が親から独立して実家を出たい、という青年のごく当たり前に持つ感情のように見えてきました。

最初はわがままにしか見えないんですが、ひとりの男性として振る舞っているだけではないか。

当時の男性像を考えると、昭和なナニでアレな感じだと思うんですよね。

波平が「おい」と言えばフネがお茶を淹れる、みたいな。

現代的な感覚でこの映画を見ると「えー?」と思う部分が大きいと思うのですが、時代背景に気を配ると、少し違う感想を持つのではないでしょうか。

大学内を鹿野さんが電動車椅子で通ると、周囲の学生が小さな声で(えー、なにあれ!?)と囁きあう場面ひとつにしても、当時はそれくらい障害者が外出することが稀であったことを伺い知ることができます。

 

また、鹿野さんは母親に、自分を不憫だと思われたり、介護で苦労を掛けたくなかったようにも見えました。

鹿野さんは北欧を中心に広がったノーマライゼーションの思想や、アメリカの自立生活運動に触れ、ひとり暮らしを試みた経緯があります。

それを考えると、鹿野さんは筋ジストロフィー患者の「それまでの当たり前を変える」ことを自分の使命とし、生きる意味を見出していたのかもしれないとも感じました。

鹿野さんの目指したのは『ひとりでできないことは他人が助ける、それが当たり前の社会』だったのではないでしょうか。

何も難しいことではない、と言われたように思いました。

 

よく「自分探しの旅」に出かける人がいますが、介護ボランティアに参加することでプライスレスな経験をすることができると、この映画で知りました。

著者・渡辺一史さんも

結局、自分の生きる意味や役割を与えてくれるのは、深く関わった他者でしかない。

「自分って何だろう?」と自分一人で考えていても結論は出ない。 

と言っています。

自分を変えたいとか、何か思っている人はボランティアに参加してみるといいんじゃないでしょうか。

利用者もヘルパー(有料)では賄いきれないこともあるでしょうから、介護ボランティアを有志で募るのは良いアイディアです。

 

調べてみると「社会福祉協議会」にはボランティア・市民活動センターが設置されていて、募集しているボランティアとマッチングすれば参加できる仕組みにになっていることがわかりました。

傾聴と呼ばれる話を聞く比較的簡単なボランティアもあるそうなので、興味のある方はボランティア・市民活動センターに相談してみて欲しいとのこと。

漫画『わたしを支えるもの すーちゃんの人生』で、施設から傾聴ボランティアしないかと勧誘を受けてたのを思い出しました。

 

著者・渡辺一史さんはボランティアになぜ参加するのか不思議だったそうなんですが、

一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる

あるボランティアさんが、そうつぶやいた言葉にドキリとさせられたそうです。

ボランティアをすることにより自分が救われることもあるのですね。

邦画らしい内容で、いい映画だと思いました。

渡辺一史さんの詳しい記事は下記リンクからどうぞ。

 

 関連リンク 渡辺一史・こんな夜更けにバナナかよの取材をはじめるまで