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なぜ今、なのか。「女の人差し指」向田邦子


久しぶりに向田邦子さんのエッセイが読みたくなり「女の人差し指」を読んでみました。

「女の人差し指」向田邦子
ドラマ脚本家デビューのきっかけを綴った話、妹と営んだ小料理屋「ままや」の開店模様、人間町からアフリカまで各地の旅の思い出、急逝により「週刊文春」連載最後の作品となった「クラシック」等、名エッセイの数々を収録。
日々の暮しを愛し、好奇心旺盛に生きた著者の溢れるような思いが紡がれた作品集。

時代が古いので「あれは新幹線のこだまだったか、食堂車へゆくので、、、」と言う具合に、新幹線に食堂車があったりするのも読んでいて面白いです。

そういう古さはあるものの、文章に古臭さは感じられず、活き活きとした文章に著者が随分と昔に亡くなられているとは思えないほど親しみが持てます。


また、当時は海外旅行なんてほとんどの人が行った事が無い時代だと思うのですが、向田邦子さんは意欲的に海外へ出かけています。

ロッコ、アマゾン、アフリカ、ニューヨークなど。

向田邦子さんは、飛行機に乗るのは嫌いだったそうだけれど、旅行は好きだったのです。

皮肉なことに、表題のエッセイを連載中、台湾上空で航空機事故に遭遇し帰らぬ人となりました。

従って「クラッシック」が最後の作品となっています。



私が興味深く読んだエッセイは「揖斐の山里を歩く」です。

岐阜をこう表現しています。

「岐阜は、こじんまりとした地味な街であった」

この岐阜の表現は至極、的確だと感じるのです。

ミイラ寺として有名な横蔵寺へ行ったり、紅葉を眺め、そしてみそかつを食べて「おいしかった」と言っています。

さらっと書いてあるんですが
「この電車は、金沢市のおさがりだというが」
金華山はロープウェイでのぼると三分というから、そうびっくりするほど高い山ではないが、金山椎、楢、楓、松などでおおわれている。
 そのせいであろう、街から見上げるとひとかたまりの新緑の山に、微妙な濃淡、光と影がある」
など、きちっと取材をしたうえで書かれているのが伺えます。

このエッセイを片手に向田邦子さんの足取りを真似して旅行してみるのも面白そうですが、流石に今ではその風景も変貌していることでしょう。

でもその文章を読むと、向田邦子が見た世界が容易に想像ができる気がして、読んでいてわくわくします。

高倉健降旗康男コンビによる向田文学初の映画化作品。
昭和初期の東京・山の手を舞台に、ふたりの男とひとりの女の微妙で不思議な関係を描く
原作:向田邦子
『あ・うん』は、1980年3月9日から3月30日までNHKで放送された向田邦子脚本のテレビドラマ。
テレビドラマとして続編が制作され、1981年5月17日から6月14日まで放送された。
向田は大人の恋の物語としてこのドラマを続ける意向であったが、1981年8月に飛行機で事故死したため中断した。


平均視聴率31.3%という高視聴率を記録した人気ドラマ「寺内貫太郎一家
数々のシーンから社会現象や流行語も生まれた話題の作品。
出演は小林亜星加藤治子ほか。