おすすめ映画・アナタハカミヲシンジマスカ?『沈黙 -サイレンス-』原作・遠藤周作 × 監督マーティン・スコセッシ(感想レビュー)

おすすめ映画『沈黙 -サイレンス-』原作・遠藤周作 × 監督マーティン・スコセッシ(感想レビュー)

 

遠藤周作の小説「沈黙」は、直木賞作家・西加奈子氏や、敏腕編集者・佐渡島庸平氏がとても影響を受けた作品として紹介していたのを見て、読んでみようと思ったことがあります。

しかし、最初のページを読んで(これは気合がないと読めないやつだ!いつかそのうち、、、)と思ってたら、マーティン・スコセッシ監督が沈黙を映画化!

マーティン・スコセッシと言ったら、ウルフ・オブ・ウォールストリートや、タクシードライバーの監督ですよ!

きっと素晴らしい映画になっているにちがいない!ということで見ました。

沈黙 (新潮文庫)

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『沈黙 -サイレンス-』あらすじ

17世紀、江戸初期は幕府による激しいキリシタン弾圧が行われていた。

そんなとき宣教師フェレイラが日本で棄教 (信仰を捨てる事)したという。

弟子のロドリゴとガルペは、その報告を信じられない。

ふたりはフェレイラに会って真偽を確かめるべく、日本人・キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。。。

宣教師フェレイラをリーアム・ニーソンが演じてます。

近年、アクション俳優のイメージがありますが、複雑な心境を抱えたフェレイラを繊細に演じていると思います。

着物も似合う!

 

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主人公のセバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド

彼の語りで物語が進行していくのですが、その声が良いです。

村人が「決して他の者には戸を開けてはいけません。。。」と神父のふたりを隠れ家に残して村へ帰ってきます。

これは開けてしまうやつやん!

日本でもお馴染みのパターンをマーティン・スコセッシ監督がやるとは(;゚Д゚)

ある晩、「パーデレ!パーデレ!」(神父様!神父様!)と外から呼ぶ声がします。

まるで実写版の『日本むかし話』を見ているよう!!

ロケ地は台湾ですが、昔の日本はこんな感じだったのかなと思わせる、すごく美しい風景が描かれています。

押し寄せる荒波に泣きたくなるような美しさがあります。

映像が美しくて、おとぎ話のように幻想的です。

 

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生きる上で信仰が無いとツライ、と聞いたことがあります。

モニカ(小松菜奈)が、キリスト教では死んだら天国に召されて、そこへ行けば痛みも税金も無く幸せな世界があるんでしょう?とロドリゴ神父に聞きます。

信仰してれば、死んだら現世のツライことから解放される、モニカはそう信じて現世を我慢して生きているのです。

しかし、そんなモニカにロドリゴ神父は「死んじゃうかもしれないんだよ!?」と叫びます。

えっ!ロドリゴ神父は死ぬのが怖いの!?と村人もびっくり発言です。

ロドリゴ神父の人間らしさを滑稽に感じつつ、信仰ってなに?と考えさせられます。

 

恋は雨上がりのように

恋は雨上がりのように

 

小松菜奈が全力疾走! 

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ロドリゴ神父と一緒にやってきたガルぺ神父(アダム・ドライヴァー

強い使命感を持ち、揺るぎない信仰心を持っています。

日本語がほとんどできないガルぺ神父が、日本人の女性(片桐はいり)の懺悔を聞きます。

何度も真面目に聞きなおす場面。。。笑ってもいいんですよね?

ガルぺ神父が真面目過ぎて、本人が本気なだけになんだか笑ってしまうんですよね。

笑ってるのは私だけだろうか。。。 

 

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まるで昭和の黒澤映画から抜け出してきたかのような長崎奉行井上筑後守を演じるイッセー尾形

映画に深みが出るなぁ!

 井上筑後守が嫌悪する場面で、おや?と思ったのですが、実は幕府のキリシタン禁教政策の中心人物でありながら、井上筑後守自身も元キリシタンであったとされていました。

遠藤周作の小説内では元キリシタンとなっています。

そういう背景を知ると、なるほどなぁ、とまた違う目で見られると思います。

井上筑後守ロドリゴ神父に、

「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」

と棄教を迫るのですが、確かにキリスト教をよく知っていなければ出ない言葉かもしれないなぁと思いました。

 

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懺悔したらすべて許されるんでしょう?とばかりに、何度も踏み絵を踏んでは、キリスト教を信仰している、と言うキチジロー(窪塚洋介

キチジローも死が怖いんですよね。 

生か死か。

そんな選択肢の中で信仰するということを考えさせられます。

奉行側も、形式的なもので、とにかく踏み絵を踏みさえすればいいのだ、そうすれば命は助かるのだ、と言います。

キチジローは踏み絵を踏んでも、自分の信仰心が消えることは無いと思っているんですよね。

考えようによっては、試練を乗り越えることにもつながります。

でも、踏み絵を踏めるのは信仰心が無いとも言え、信仰のパラレルワールドへと誘われます

 

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村のナンバー2な存在・モキチ(塚本晋也)が、すごく印象に残りました。

モキチは死を恐れながらも、キリスト教の信仰心で受け止めようとします。

モキチにはグッとさせられました。

ロドリゴ神父も、どうしてこんな試練を神様はお与えになるのか、とモキチを見て神様に問います。

本作を見ながら、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という神様なら踏んでも怒らないのでは?と思ったのですが(本来は敵を許し仕返しをするな、という教えらしいのですが)

この「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉、ハーバード大学での講義※での解釈によると、昔は、卑しい身分の奴隷を殴る時、手のひらで殴ると『手が汚れる』と考えられていたため、裏拳で殴っていて、イエスの教え通りに左頬を差し出したとしたら、 今度はキレイな手のひらで殴らざるを得なくなり、結果的に主人と奴隷』の関係から『対等』になってしまうというのです。

つまり、相手に屈辱を与えることになる、と。

解釈次第で変わるものなのですね。。。

信者は踏み絵をどうするのが正解だったのだろう?

『沈黙 -サイレンス-』はむかしむかし、こんなお話がありましたとさ、といった描き方で非常によかったです。

現代でもこういった宗教問題が起きていて、今、これを映画化したマーティンスコセッシ監督を素晴らしいと思いました。

 

※参考元:キリスト教「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」の真意とは!? ~ハーバード大の講義でわかった意外な解釈~