スポンサーリンク

井上雄彦 最後のマンガ展


「あなたが、最後に帰る場所は、どこですか。」
この言葉がビラに書いてあった。実は行くまで内容は知らなかった。

空間を思う存分使用した漫画、とでも言おうか。紙媒体から一歩出てきた、そんな感じ。とても新鮮に感じて良かったし、内容も良かった。内容を書いちゃうと駄目だと思うから抽象的になっちゃうけど、成仏するってこういうことなのかな、と思った。

しかし、人が楽しんでいるところで、「あー、もうええわ、だるい」とわざわざ通りすがりに言って人の邪魔をする鑑賞者はいかがなものか?そこには私以外、誰もいなかったのである。混雑するのが嫌で、平日に会社を休み朝早くから見に行って、これかよ!と叫びたくなる。他にも大声で自慢話をしている人がいたりとか・・・きっと大ファンに違いない。それだけに性質が悪いと感じる。
空間を他人と共有することは難しい。それは普段から思う。

そしてミュージアムショップで「このポスターはここでしか買えないから、とりあえず買っていく」と言った男性がいた。(好きだから買う)んじゃないんだ、と思った。いろんな価値観があるんだな。でも、なんか悲しく思えた。そういう買い物の仕方が。

それは目に付いただけで少数派なんだけれどね。

一定の距離を保ちながら後ろから順番に見てくれる人もいたし、ミュージアムショップでも私がどくのを待っていてくれたり、そんな風にちゃんと気遣いの出来る人もいる。そういう人たちはものすごくサラリとやってのけるので、こちらが気づかないこともある。
ミュージアムショップでも、好きだから買いたい、という人のほうが圧倒的に多かった。
こういう時は、他人と同空間にいるのが楽しく感じる。

お互いが快適に過ごすには思いやりが大切だと思う。最近の人は思いやりが足りない、と言う人がいるけど、そうなのかな?そんな人ばかりじゃないと思う。ネットを見ればわかりやすい。他人の質問に親身に答えてる人がなんと多いことか!現実社会でそれをもっと感じられるといいとは思うけど、日本人はみんな思いやりの心が自然と備わってると思う。そしてそれは気づかれないようにするのが美徳とされてきたら、見えないだけなんじゃないかな。あと、感じるものだと思うから、目に見えるものが全てだと思う人にはわからないかもしれない。

近所に人通りの多い道がある。それなのに道がきれいだ。そこをおばさんが掃除してくれていることを私は知っている。多分、近所の人。ボランティア。彼女が掃除しているからそこの通りはいつもキレイなのだ。

井上雄彦 最後のマンガ展 大阪版 は明日で終わる。人がたくさんいると思う。